26 受難節第6主日(3・16~4・18)p4(棕櫚の日曜日〔パーム・サンディー〕)
2015年06月03日 15:25
受難節第6主日(3・16~4・18)(棕櫚の日曜日〔パーム・サンディー〕)
〔テーマ:救拯計画の成就と祝福〕
(呼びかけ)
灰の水曜日に始まる悔い改めの日々を支え、主イエス・キリストにあって、私たちに悔い改めを迫り続けて下さった天の父なる神様。
(頌栄)(感謝)
受難節も、残すところ後(あと)一週間です。しかし、この一週間にこそ極みがあります。あなたは、その鋭い愛の切(き)っ先をもって、御自身の御子を十字架において引き裂き、生きとし生けるものの救いとなって下さいました。あなたの知恵に満ちた救いのご計画を感謝し、御名をほめたたえます。
(告白)
主イエスは、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受けられました。ポンテオ・ピラトは、この地上世界の代表者として、主イエスを苦しめました。ポンテオ・ピラトは、人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていました。しかし、騒動が起こりそうなのを見て、自分の責任を放棄してしまいました。
私たちも同じです。主イエス・キリストを信じるがゆえに偏見にさらされた時、私たちも主イエスの御名によって生きる責任を放棄してしまいます。さらには、天の恵みのすばらしさを味わっていながら、この同じ幸福を隣人にも受けて欲しいとの願いはあっても、福音を伝える責任を放棄しています。お赦し下さい。
(赦罪)
しかし、主イエスが大声で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と叫び、息を引き取られた時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け(マタ27・46~51)ました。こうして、あなたは、「あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る(ヨハネ4・21)」と主イエスが言われた通りに、主イエス・キリストによって、全世界の人々がどこにいても、御前にひざまずくことが出来るようにして下さいました。心より感謝いたします。
(歎願・執成し、祈願)
それゆえ、願わくば「御救いの喜びを再びわたしに味わわせ、自由の霊によって支えてください。(詩編51・14)」。
願わくば、御救いによって、天の前味を味わうことを許し、天の前味を味わわせて下さったあなたが、私たちに、私たちの手のわざを準備し、遣わして下さる日々の生活を捧げて、あなたをほめたたえることができるように支えて下さい。
とりわけ、天の前味を味わい、喜びに満たされ、天の希望に生きる私たちに、あなたは、これを隣人に伝える任務をも与えて下さいました。それゆえ、喜びをもって、主イエス・キリストの救いの福音を伝えることが出来るようにして下さい。
あなたの聖霊の力によって、私たちの心と思いをあなたに向けて開いてください。そうして、聖書が朗読され、御言葉が語られる今日という日に、喜びをもって、あなたが語って下さるみ言葉に耳を傾けることが出来るようにして下さい。
病のため、高齢のため、また、やむを得ずして、この礼拝に出席できない兄弟姉妹に慰めと平安を与え、一時(ひととき)でも主を仰ぐことが出来るように導いて下さい。
旅の内にある兄弟姉妹、他住の兄弟姉妹、全世界の各地で困難を覚えておられる兄弟姉妹をお守り下さい。
(結び)
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。