23 受難節第3主日(2-23(24)_3-28) 〔テーマ:主イエスの御受難〕
2015年06月03日 15:17
受難節第3主日(2・23(24:閏年)~3・28)〔テーマ:主イエスの御受難〕
(呼びかけ)
怒るのに遅く、憐れみに満ち、悔い改めてあなたに立ち帰る罪人を喜んで受け入れて下さる、憐れみに富み給もう父なる神様。
(頌栄)
あなたは、愛をもって、私たちを包み込み、あなたのところへ帰るすべての人々を受け入れてくださいます。あなたは、あなたの恵みの豊かな食卓に、私たちを座らせてくださいます。
あなたは、私たちに喜びを与え、飢え渇いた心を満たし、飽き足らせ、癒して下さいます。心より感謝いたします。
(告白)
しかし、私たちは、自らの罪の深さにおののいています。私たちの心の闇の奥深くには、「堕落したアダム」の罪の残り滓が、未だに巣くっています。
この受難節の間、私たちは心の底に潜む罪に目を凝らして来ました。しかし、私たちのプライドや劣等感が私たちの目を覆っているため、見えていない罪の数々があります。それゆえ、あなたの御言葉の光を私たちの心に注いで、私たちの罪を見極めさせて下さい。そして、私たちの内にあるあらゆる罪から目をそむけることがないように助けて下さい。
確かに「堕落したアダム」の罪そのものは、御子、私たちの主、イエス・キリストが、その十字架において、打ち倒して下さいました。しかし、私たちは、なお、悔いては犯す罪の鎖の中にあることを告白いたします。私たちには、その罪の鎖を断ち切る力はありません。主よ、私たちを憐れんで下さい。私たちに、あなたの憐れみ深い御顔を向けて下さい。私たちは、もう疲れはてています。
(赦罪)
しかし、罪の縄目に疲れ果てている私たちに、主イエス様は、優しく声をかけて下さいました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(マタ11・28)」。また、主は言われます。「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です(エフェ2・8)」。
(歎願・執成し、祈願)
まことに、あなたの慈愛に満ちた赦しの恵みに、心打ち震えます。感謝します。
それゆえ、私たちの父なる神様、私たちは自分自身を、自らの罪もろともに、あなたに委ねます。あなたの御意志のままに、私たちと共に働いてください。あなたが私たちと共に働かいて下さるなら、何であっても、私たちには喜びです。私たちはあなたの御心であるなら、何であっても受け入れます。私たちの主よ、私たちはあなたの御手に私たちの魂を委ねます。愛の源なる神様、私たち自身をあなたに委ねます。この私たちのへりくだりの供え物を、主イエス・キリストに従う私たちの献身のしるしとして受け取ってください。
あなたは、今朝も、私たちに、生ける糧である御言葉を与えて、新しい一週間、私たちに準備された手の業に励まして下さいます。そのために、私たちに聖霊の力を増し加えて、御言葉を理解させ、御言葉に生きるものとして下さい。「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人(詩編1・2)」にして下さい。
病のため、高齢のため、また、やむを得ずして、この礼拝に出席できない兄弟姉妹に慰めと平安を与え、一時(ひととき)でも主を仰ぐことが出来るように導いて下さい。
旅の内にある兄弟姉妹、他住の兄弟姉妹、全世界の各地で困難を覚えておられる兄弟姉妹をお守りください。
(結び)
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。