03 待降節第3主日(12-11_12-17) 〔テーマ:呼びかける声〕
2015年06月03日 14:27
待降節第3主日(12・11~17)〔テーマ:呼びかける声〕
(呼びかけ)
あなたの独り子、私たちの主イエス・キリストを、私たちの救いのために遣わされた父なる神様。
(頌栄)(感謝)
あなたは「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ……主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される(イザ40・3、5)」とおっしゃって、私たちに、救い主、イエス・キリストを迎える準備をせよと呼びかけて下さいます。そのゆえに、あなたの御名を崇め、心より感謝いたします。
(告白)
しかし、私たちは、御子の到来を、いかに迎えるべきでしょうか。私たちは、御子の到来のための準備の仕方さえも知らないことを告白します。私たちは年末のあわただしさに心を乱され、多忙さの中で目の前の見えるものに追われ、霊の目はまどろみの中に誘われていきます。
あのゲツセマネの園で、ペトロが主イエスから「あなたがたは……、わずか一時(いっとき)もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか(マタ27・40)」とおしかりを受けたように、私たちは、今、自分の目の前の事に心を奪われています。そのために、私たちはあなたの御国の約束を、しばしば、忘却の果てに追いやってしまいます。私たちの弱さと怠惰をお赦し下さい。
(赦罪)
しかし、主イエスが「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい(マタ27・41)」と忠告して下さったばかりか、「心は燃えても、肉体は弱い(マタ27・41)」と私たちを慮(おもんばか)って下さいました。あなたの憐れみに富み給もう赦しの恵みを感謝いたします。
(歎願・執成し、祈願)
願わくば、「盗人が夜やって来るように、主の日は来る(一テサ5・2)」のですから、「目を覚まし(一テサ5・6)」「信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んで(一テサ5・8)」、わが身を整え、御子の到来に備えることが出来るようにして下さい。
願わくば、主が「呼びかける声」に応えて、御言葉の養いを受ける今、あなたの来訪のために、私たちの心を備えさせて下さい。あなたの御言葉を聞き、忠実なしもべとして誠実に応答出来るように、私たちを整えて下さい。
病のため、高齢のため、また、やむを得ずして、この礼拝に出席できない兄弟姉妹に慰めと平安を与え、一時(ひととき)でも主を仰ぐことが出来るように導いて下さい。
旅の内にある兄弟姉妹、他住の兄弟姉妹、全世界の各地で困難を覚えておられる兄弟姉妹をお守り下さい。
(結び)
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。