06-03受難週祈祷礼拝 ルカによる福音書による

2015年06月20日 20:59

受難週祈祷礼拝 0月00日(金)午後2時

                       司 式 

 

前  奏 「イエスが十字架にかかり」  ハインリッヒ・バッハ

頌  栄   541        

主の祈り (564)

聖  書    ルカによる福音書 22章66~71節

讃美歌    140(いのちのいのちに)1、2

祈  祷(一同、祈祷1)

聖  書    ルカによる福音書 23章1~25節

讃美歌   140(いのちのいのちに)3、4

祈  祷(一同、祈祷2)

聖  書    ルカによる福音書 23章26~43節

讃美歌   136(血潮したたる)1、2

祈  祷(一同、祈祷3)

聖  書    ルカによる福音書 23章44~49節

讃美歌    136(血潮したたる)3、4

祈  祷(一同、祈祷4)

讃美歌    144(わがたまいたみて)

聖  書 〔説教の聖書個所〕

説  教 「

祈  祷

讃美歌    138(ああ主は誰がため)

頌  栄   544

祝  祷

 

 

祈祷1

 

 (あわ)れみ(ふか)(ちち)なる神様(かみさま)

いよいよ、(しゅ)イエス(さま)十字架(じゅうじか)(おぼ)える(とき)となりました。

 この受難(じゅなん)(しゅう)に、(わたし)たちは、()言葉(ことば)(うなが)されながら、

  十字架(じゅうじか)への(みち)(あゆ)んでまいりました。

    (しゅ)イエス(さま)は、エルサレムに(はい)られ、(みや)(きよ)めをなさり、

  最後(さいご)晩餐(ばんさん)(せき)ではユダに(うら)()られ、

  ゲツセマネでは()のような(あせ)(なが)され、

  不当(ふとう)裁判(さいばん)()け、(さげす)まれ、(あなど)られなさいました。

 これまでになされたみ(わざ)(ひと)(ひと)つを、

(いま)(いち)()(おも)()させて(くだ)さい。

 そして、これらの(しゅ)イエス(さま)()(わざ)を、

  (わたし)自身(じしん)(つみ)のためであると、

  ()()めることができるようにして(くだ)さい。

  そのような(わたし)たちであるにもかかわらず、今日(きょう)もまた、

  (しゅ)イエス(さま)(たい)して、(おお)くの群衆(ぐんしゅう)(とも)

  「十字架(じゅうじか)につけよ」と(さけ)び、

  (しゅ)イエス(さま)十字架(じゅうじか)()(わた)(つみ)(おか)しました。

  この(とき)(しゅ)イエス(さま)十字架(じゅうじか)(くる)しみを(おも)い、

  (みずか)らを(たの)しませる欲望(よくぼう)退(しりぞ)け、

  すべての誘惑(ゆうわく)から、(わたし)たちを(たす)()して(くだ)さい。

 そして、(わたし)たちを(つみ)から()(はな)ち、自由(じゆう)(よろこ)び、

  感謝(かんしゃ)賛美(さんび)()たせて(くだ)さい。

  (しゅ)イエス・キリストの御名(みな)によって、お(いの)りいたします。アーメン。

 

 

祈祷2

 

  (しゅ)イエス・キリストの(ちち)なる神様(かみさま)

  兵士(へいし)たちは、(しゅ)イエス(さま)(いばら)(かんむり)をかぶらせ、

  (つば)()きかけ、(あなど)りました。

 しかし、(しゅ)イエス(さま)は、(くち)(ひら)かず、(もく)して、

ただただその(あなど)りに()えて(くだ)さいました。

 そのようにして、(しゅ)イエス(さま)は、(あなど)られた(おう)として、

  (わたし)たちと(おな)(やみ)(なか)()って(くだ)さいました。

  兵士(へいし)たちは、まさに(わたし)です。

   どうか、(わたし)たちをお(ゆる)(くだ)さい。

 そして、(いま)(しゅ)イエス(さま)(ふか)(たし)かな(めぐ)みによって、

  (わたし)たちの(かたく)なな(こころ)(くだ)き、(つみ)()(ほろ)ぼして、

  (しゅ)自身(じしん)(おう)として(わたし)たちの(こころ)占領(せんりょう)し、君臨(くんりん)して(くだ)さい。

 ただひたすら、み(たま)(たす)けを()(ねが)います。

  (わたし)たちを祝福(しゅくふく)(なか)()たせて(くだ)さい。

 (しゅ)御名(みな)によってお(いの)りいたします。アーメン

 

 

祈祷3

 

  (しゅ)イエス・キリストの(ちち)なる神様(かみさま)

 (しゅ)イエス(さま)は、ついに、十字架(じゅうじか)におつきになりました。

  それは、(わたし)たちの(しゅ)(たい)する(あい)(はる)かに(まさ)った(たし)かな、

  そして(おお)きな(あい)によるものです。

  どうか、(わたし)たちを、神様(かみさま)(あい)()かして(くだ)さい。

  (わたし)たちが信仰(しんこう)によって、あなたの(あい)()かされていることを、

  (いま)(かた)(しん)じることができますように。

 この(めぐ)みから(とお)(はな)れている(もの)にも、

  どうぞあなたの(ひかり)(とど)けられますように。

 (しゅ)御名(みな)によってお(いの)りいたします。アーメン。

 

 

祈祷4

 

  (しゅ)イエス・キリストの(ちち)なる神様(かみさま)

 (わたし)たちは、(いま)まで、刻々(こくこく)(せま)十字架(じゅうじか)(くる)しみを、

  わがことのように(あじ)わってまいりました。

 御子(みこ)は、この()十字架(じゅうじか)につかれました。

 12時(じゅうにじ)になると、全地は暗くなり、3時(さんじ)に至り、御子(みこ)は、

  「わが(かみ)、わが(かみ)、なぜわたしをお()()てになったのですか」

  と(さけ)ばれ、また御子(みこ)

  「(ちち)よ、わたしの(れい)をみ()にゆだねます」

  と(さけ)んで(いき)(ちち)なる(かみ)にゆだねられました。

 御子(みこ)人間(にんげん)として(つみ)極限(きょくげん)()たされた(もの)姿(すがた)でした。

  そこまで、(わたし)たちの(つみ)(にな)って(くだ)さいました。

 この「(ひと)となたれた(かみ)()」の(くる)しみを、(いま)(おぼ)えます。

  すべてが、この(わたし)のためにあったのです

  しかし、(わたし)たちは、しばしば、(しゅ)十字架(じゅうじか)(さけ)びを(わす)れ、

  自分(じぶん)(くる)しみ、自分(じぶん)(なげ)きの(ほう)が、

  (しゅ)(なげ)きよりも(ふか)いかのように(おも)()んでしまいます。

 しかし、そのような(とき)(しゅ)十字架(じゅうじか)(めぐ)みの(ひかり)が、

  (こころ)(ふか)くに、すでに(とど)けられていることに、

  (わたし)たち自身(じしん)()()くことができますように。

 自分(じぶん)(あわ)れむのではなく、率直(そっちょく)に、(みずか)らの(つみ)をみ(まえ)()じ、

  (みずか)らの(みにく)さに(けん)()することができますように。

 しかし、それにもまさって、(しゅ)十字架(じゅうじか)が、

  (わたし)()らえて(はな)さないでいることに()()くことができますように。

 (ねが)わくば、どうぞ(しゅ)()(あと)(した)い、

  (しゅ)(つか)える(みち)(あゆ)ませて(くだ)さい。

  (しゅ)イエス・キリストの御名(みな)によって、お(いの)りいたします。アーメン。

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