26 受難節第6主日(3-16_4-18)p1〔テーマ:赦しの極みに立つ主イエス〕

2015年06月03日 15:20

受難節第6主日(3・16~4・18)(棕櫚の日曜日〔パーム・サンディー〕)

〔テーマ:赦しの極みに立つ主イエス〕

(呼びかけ)

 灰の水曜日に始まる悔い改めの日々を支え、主イエス・キリストにあって、私たちに悔い改めを迫り続けて下さった天の父なる神様。

(頌栄)

 受難節も、残すところ後(あと)一週間です。しかし、この一週間にこそ極みがあります。あなたは、その鋭い愛の切(き)っ先をもって、御自身の御子を十字架において、引き裂き、生きとし生けるものの救いとなって下さいました。

 完全な正義と完全な愛を現(あらわ)し、その二つを二つともに完全に達成して下さった、あなたの測り知ることの出来ない大いなる知恵をほめたたえます。

(告白)

 私たちは、灰の水曜日に始まる悔い改めの日々を過して来ました。しかし、私たちの心の闇はまことに深く、なおその深みを見極めることが出来ません。それどころか、私たちに貼り付く罪をそぎ取る力もないことを思い知らされました。私たちは、ただあなたに「哀れな罪人を憐れんで下さい」と懇願し、私たちのすべてを主にお委ねする以外に手立てを見い出すことは出来ません。お赦し下さい。

(赦罪)

 しかし、主イエスは、今や、罪の赦しの極みに立つために、危険極まりないエルサレムに入られました。救いの計画を成就するために、主イエスは、ひるまれませんでした。

この主イエスの罪の赦しの極みの一刻、一刻を、今週、私たちに静かに瞑想させて下さい。主イエスは、権威者から試され、偽りの非難を受けられました。弟子たちでさえ恐れて逃走しました。裏切りの接吻を受けられ捕えられました。茨の冠と紫の外套を着せられて侮辱の極みまでもなめられました。そして、遂には、十字架に釘付けられました。

 これらは、すべて私たちの心の深い闇に潜む始祖アダムの罪のためでした。私たちが見極めきれない罪のすべてを、主イエス様は、十字架において、御自身に引き受けて下さり、私たちに罪の赦しを与えて下さいました。

(感謝)

 しかし、それだけではなく、私たちが、主イエスの御苦しみを深く覚えることによって、主の名によって受ける困難に出会う時、「イエスの名のために辱(はずかし)めを受けるほどの者にされたことを喜び(使5・41)」とする勇気と力を与えて下さいます。心より感謝いたします。これこそ、信仰の奥義、キリスト者の秘められた力です。

(歎願・執成し、祈願)

主なる神様、私たちがイエス・キリストの十字架を瞑想するとき、私たちにあなたの御霊を送って下さい。この極みの週、あなたの比類のない恵みを備え、御言葉に導かれて、黙想の日々を持つことにより、私たちの信仰をさらに固く深いものにして下さい。

私たちが弱い時、私たちを強くして下さい。私たちが倒され、失望している時、私たちに希望を与えて下さい。

あなたの聖霊の力によって、私たちの心と思いをあなたに向けて開いてください。そうして、聖書が朗読され、御言葉が語られる今日という日に、喜びをもって、あなたが語って下さるみ言葉に耳を傾けることが出来るようにして下さい。

 病のため、高齢のため、また、やむを得ずして、この礼拝に出席できない兄弟姉妹に慰めと平安を与え、一時(ひととき)でも主を仰ぐことが出来るように導いて下さい。

旅の内にある兄弟姉妹、他住の兄弟姉妹、全世界の各地で困難を覚えておられる兄弟姉妹をお守り下さい。

(結び)

  主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。