18 受難節前第2主日(2-17_2-29) 〔テーマ:受難予告〕

2015年06月03日 15:09

受難節前第2主日(2・17~29)(テーマ:受難予告)

〔公現日後主日と重なる場合は、公現日後主日を優先する〕

(頌栄)

 私たちを愛して、独り子なる主イエス・キリストを私たちにお与え下さった父なる神様。あなたの全能の知恵と力を崇めます。

(告白)

 主イエスは、山上の変貌の後に、第2回目の受難予告をなさいました。「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する(マル9・31)」。三人の弟子たち、ペトロ、ヤコブ、ヨハネは、山の上で、主イエスの栄光のお姿を見ました。その弟子たちでさえ「この言葉が分からなかった(マコ9・32)」だけではなく、「怖くてその言葉について尋ねられなかった(ルカ9・45)」のです。

 私たちも、この弟子たちと同じです。喜ばしいことには耳を傾けようとしますが、不都合なことからは耳をそむけ、理解することをも停止させてしまいます。それは、主イエスのご復活の命に新しく生まれ変わったにもかかわらず、一部に、未だに古い私を正当化し、古い私を保全しようとする心が残っているからです。愚かな私たちをお赦し下さい。

 主イエスは、最後のエルサレムへの道すがら、第3回目の受難予告をなさいました。「人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する(マル10・33、34)」。

 第3回目の受難予告の時には、主イエスは「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように(マタ20・26~28)」とおっしゃいました。

(感謝)

主イエスは、主イエスにあって「仕える者」「僕」となることが「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」主イエスと同じになることである、と教えて下さいました。

まことに深い信仰の真理を教えていただき、心より感謝いたします。これこそ、信仰の奥義、キリスト者の秘められた力です。

やがて、聖霊を受けた弟子たちは、主の名による困難に出会った時「イエスの名のために辱(はずかし)めを受けるほどの者にされたことを喜び(使5・41)」ました。それは、自らの内に主イエスが宿って下さり、私たちの命となって下さっていることを実感出来た瞬間です。

パウロも「苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています(コロ1・24)」と語っています。

(歎願・執成し、祈願)

 願わくば、主イエスにあって「仕える者」となり、主「イエスの名のために辱(はずかし)めを受けるほどの者にされ」て、主イエスと同じになることによって、主イエスのご復活の命に生かされていることを現実のものとして、実感させて下さい。

願わくば、罪にまみれた生まれながらの古い私は主イエスと共に十字架につけられて死に、主イエス・キリストのご復活の命を受けて新しく生まれ変わり、主イエス・キリストが私の命となって下さり、私たちの人生のすべてとなって下さい。

 病のため、高齢のため、また、やむを得ずして、この礼拝に出席できない兄弟姉妹に慰めと平安を与え、一時(ひととき)でも主を仰ぐことが出来るように導いて下さい。

旅の内にある兄弟姉妹、他住の兄弟姉妹、全世界の各地で困難を覚えておられる兄弟姉妹をお守り下さい。

(結び)

 主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。