16 公現日後最終主日(2-2_16) 〔主イエスの変貌〕

2015年06月03日 15:07

公現日後最終主日(2・3~16)(主イエスの変貌)

〔公現日後第3、4主日と重なる場合は、こちらを優先する〕

(頌栄)(感謝)

 主イエス・キリストによってご自身を明らかにされた父なる神様。

 主イエスは、実体において同一、力と栄光において同等の、ひとりの、まことの、永遠の神(ウ大9)を現されました。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである(ヨハ1・18)」。

 主イエスは「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている(ヨハ14・7)」とおっしゃり、主イエスを知ることによって、父なる神を見せて下さいました。

私たちもイエス・キリストのみ顔に神の栄光を見て、心より感謝し、父なる神様を崇めます。

(告白)

 ペトロ、ヤコブ、ヨハネは、あの山の上で、栄光へと変貌なさった主イエスのお姿を見ました。主イエスは、そこに現れたモーセとエリヤと一緒に、主「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について(ルカ9・31)」話しておられました。モーセとエリヤは旧約聖書の代表です。主イエスの贖いの御業によって旧約聖書に示された神の救いのご計画が成就されることを示すものでした。

 しかし、ペトロは、計りがたい光景を見て惑い、愚かなことを口走ってしまいました。私たちも、しばしば、思いもよらないことが起こった時、あなたの深い慈愛に満ちた御配慮による恵みがあるにもかかわらず、愚かなことを口走ってしまいます。まことに、知恵も思慮分別のかけらもない、私たちの愚かさをお赦し下さい。

(赦罪)

 しかし、あなたは神秘に満ちた栄光の雲の中から、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け(マタ17・5)」と、主イエスが神の御子であると宣言されました。

 主イエスは、私たちの罪の身代わりとして、十字架で死なれましたが、よみがえって、旧約聖書に示された神の救いのご計画を現実のものとなさいました。

(歎願・執成し、祈願)

 私たちは、主イエスのご復活を前にして、受難節の時、主イエスが辿られた受難の深い谷底を通過しなければなりません。その時、どうか私たちに、主イエスの栄光に輝く御顔を隠さないで下さい。

 私たちは、未だに、悔いてはまた犯す罪の鎖から、逃れることが出来ません。私たちは塵です。一度は死ななければならない身です。そうであるがゆえに、私たちは、なお心の底に潜み残る罪の残滓が明らかにされることを恐れています。私たちは、自らの罪を凝視し、憎み、捨て去る力はありません。

 しかし、あなたは、私たちに主イエスの栄光に輝く御顔を向け、主イエスがお変りになったように、私たちに自らの罪を憎ませ、捨て去らせて、新しい人として御復活の命に生きる者に変えて下さいます。

そうして、あなたは、私たちに、たとえ死のただ中にあっても、主イエス・キリストにあって、あなたの終わりのない命を祝い喜ぶことが出来るようにして下さいます。

 そのために、今日も、私たちに聖霊を送って下さい。御言葉に、主イエスの御声を聞き取ることが出来るように、私たちの心を照らし、開いて下さい。

 病のため、高齢のため、また、やむを得ずして、この礼拝に出席できない兄弟姉妹に慰めと平安を与え、一時(ひととき)でも主を仰ぐことが出来るように導いて下さい。

旅の内にある兄弟姉妹、他住の兄弟姉妹、全世界の各地で困難を覚えておられる兄弟姉妹をお守り下さい。

(結び)

 主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。