12 公現日後第2主日(1-13_1-19)〔テーマ:主イエスの洗礼─公生涯に入る〕

2015年06月03日 15:02

 

公現日後第2主日(1・13~1・19〔テーマ:主イエスの洗礼──公生涯に入る〕)

 

(呼びかけ)

 洗礼者ヨハネから洗礼を受け、全世界の救い主として公(おおやけ)の生涯を開始された、私たちの主イエス・キリストの父なる神様。

(頌栄)(感謝)

主イエスは、罪のないお方であるにもかかわらず、洗礼者ヨハネから罪の悔い改めの洗礼を受けられました。このことにより、主イエスは、罪ある人間とまったく同じ姿となられ、私たち人間の弱さをさえ身にまとって下さいました。主イエスは「自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです(ヘブ5・2)」。

主イエスが水から上がられた時、「天がイエスに向かって開いた(マタ3・16)」のです。私たちを迎え入れる天の扉が、主イエスにあって開けられたのです。主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない(ヨハ14・6)」とおっしゃいました。

続いて「聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降(くだ)って来た(ルカ3・22)」時、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者(ルカ3・23)」との、天から声が聞こえました。主イエスは、神の愛する御子であるとの宣言をお受けになり、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい(マコ1・15)」と言って、私たちを救うための公(おおやけ)の働き、公生涯(こうしょうがい)を開始されました。

このようにして、三位一体の神様は、救いの御業を具体的に始められました。あなたの奇(くす)しい御業のゆえにあなたを崇(あが)め、私たちへの計りしれない慈しみと憐れみを心より感謝いたします。

(告白)

 しかし、主イエスは「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もな(イザ53・2)」く、軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負われました。私たちも、目の前の見えるものに重きを置き、主イエスを軽蔑し、無視してしまいました。この愚かさをお赦し下さい。

(赦罪)

 しかし、主イエスが「刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであ(イザ53・5)」りました。主イエスの「受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた(イザ53・5)」のです。私たちの思いも及ばない御業によって、私たちに罪の赦しを与えて下さった奇しい御業のゆえに、あなたに感謝をささげます。

(歎願・執成し、祈願)

 主イエスは、イザヤ書の一節を読まれ、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められ(ルカ4・21)ました。私たちも、御言葉と聖霊による、あなたの福音によって、救いを受けました。ですから、今日もあなたが語って下さる御言葉によって、さらに一歩、御国に向けて歩みを進めることが出来るようにして下さい。

 病のため、高齢のため、また、やむを得ずして、この礼拝に出席できない兄弟姉妹に慰めと平安を与え、一時(ひととき)でも主を仰ぐことが出来るように導いて下さい。

旅の内にある兄弟姉妹、他住の兄弟姉妹、全世界の各地で困難を覚えておられる兄弟姉妹をお守り下さい。

(結び)

 主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。