06-01受難週祈祷礼拝 マタイによる福音書による

2015年06月20日 20:55

受難週祈祷礼拝 0000年0月0日(○)午後2時

                       司 式 

 

頌  栄   541

主の祈り (564)

讃美歌    140(いのちのいのちに)1、2

聖  書    マタイによる福音書 27章1~26節

祈  祷(一同、祈祷1)

讃美歌   140(いのちのいのちに)3、4

聖  書    マタイによる福音書 27章27~31節

祈  祷(一同、祈祷2)

讃美歌   136(血潮したたる)1、2

聖  書    マタイによる福音書 27章32~44節

祈  祷(一同、祈祷3)

讃美歌    136(血潮したたる)3.4

聖  書    マタイによる福音書 27章45~56節

祈  祷(一同、祈祷4)

讃美歌    144(わがたまいたみて)1、2

聖  書  〔説教の聖書箇所〕

説  教 「

祈  祷

讃美歌    144(わがたまいたみて)3、4

頌  栄   544

祝  祷

 

 

 

祈祷1

 

 (あわ)れみ(ふか)(ちち)なる神様(かみさま)

 あなたは(ひと)()をさえ()しまないで、

  (わたし)たちのために()(わた)され、

十字架(じゅうじか)(うえ)で、(わたし)たちの(つみ)()()って(くだ)さいました。

 この受難(じゅなん)(しゅう)に、(わたし)たちも、()言葉(ことば)(うなが)されながら、

  十字架(じゅうじか)への(みち)(あゆ)んでまいりました。

  いよいよ、(しゅ)イエス(さま)十字架(じゅうじか)(おぼ)える(とき)となりました。

この受難(じゅなん)(しゅう)()こった(ひと)(ひと)つを、

もう(いち)()()(かえ)らせて(くだ)さい。

 これまで、(しゅ)イエス(さま)がなんのためにエルサレムに(はい)られたか。

  どうして(みや)(きよ)めをなさったのか。

  最後(さいご)晩餐(ばんさん)(せき)でのユダの(うら)()りや、

  ゲツセマネで(なが)された(しゅ)イエス(さま)()のような(あせ)を、

(わたし)自身(じしん)(つみ)のためであると、()けとる(こころ)(あた)えて(くだ)さい。

   (わたし)たちは、この()

  (かみ)(あい)そのものである(しゅ)イエス(さま)(たい)して

  「十字架(じゅうじか)につけよ」と(さけ)び、

  (しゅ)イエス(さま)十字架(じゅうじか)()(わた)すことによって、

  (わたし)たちへの(すく)いの(めぐ)みに(むく)いてしまいました。

  (いま)、この(とき)(しゅ)イエス(さま)十字架(じゅうじか)(くる)しみを(おも)い、

  (みずか)らを(たの)しませる欲望(よくぼう)退(しりぞ)け、

  すべての誘惑(ゆうわく)から、(わたし)たちを(たす)()して(くだ)さい。

 そして、(わたし)たちを(つみ)から()(はな)ち、自由(じゆう)(よろこ)び、

  感謝(かんしゃ)賛美(さんび)()たせて(くだ)さい。

  (しゅ)イエス・キリストの御名(みな)によって、お(いの)りいたします。アーメン。

 

 

祈祷2

 

  (しゅ)イエス・キリストの(ちち)なる神様(かみさま)

  兵士(へいし)たちは、(しゅ)イエス(さま)(いばら)(かんむり)をかぶらせ、

  (つば)()きかけ、(あなど)りました。

 しかし、(しゅ)イエス(さま)は、(くち)(ひら)かず、

  ただただ(もく)して、その(あなど)りに()えて(くだ)さいました。

 そのようにして、(しゅ)イエス(さま)は、(あなど)られた(おう)として、

  (わたし)たちと(おな)(つみ)(やみ)(なか)()って(くだ)さいました。

 この兵士(へいし)たちは、まさに(わたし)たちです。

  どうか、(わたし)たちをお(ゆる)(くだ)さい。

 (いま)(しゅ)イエス(さま)(ふか)(たし)かな(めぐ)みによって、

  (わたし)たちのかたくなな(こころ)(くだ)き、(つみ)()(ほろ)ぼして、

  (しゅ)自身(じしん)(おう)として(わたし)たちの(こころ)占領(せんりょう)し、君臨(くんりん)し、

  (わたし)たちをあなたの祝福(しゅくふく)(なか)()たせて(くだ)さい。

 (しゅ)御名(みな)によってお(いの)りいたします。アーメン

 

 

祈祷3

 

  (しゅ)イエス・キリストの(ちち)なる神様(かみさま)

 (しゅ)イエス(さま)は、ついに、十字架(じゅうじか)におつきになりました。

  それは、(わたし)たちの(しゅ)(たい)する(あい)(はる)かに(まさ)った(たし)かな、

  そして(おお)きな(あい)によるものです。

  (ねが)わくは、(わたし)たちを、(しゅ)イエス(さま)(あい)()かして(くだ)さい。

  (わたし)たちが信仰(しんこう)によって、あなたの(あい)()かされていることを、

  (いま)(かた)(しん)じることができますように。

 ただ十字架(じゅうじか)にこそ、(わたし)たちのいのちを()させて(くだ)さい。

  その永遠(えいえん)のいのちの(ひかり)(なか)で、日々(ひび)()きる(さいわ)いを、

  どうぞ(わたし)たちに、(ふか)(さと)らせて(くだ)さい。

 この(めぐ)みから(とお)(はな)れている(もの)にも、

  どうぞあなたの(ひかり)(とど)けられますように。

 (しゅ)御名(みな)によってお(いの)りいたします。アーメン。

 

 

祈祷4

 

  (しゅ)イエス・キリストの(ちち)なる神様(かみさま)

(わたし)たちは、(いま)まで、刻々(こくこく)(せま)十字架(じゅうじか)(くる)しみを、

  わがことのように(あじ)わってまいりました。

 御子(みこ)は、

  この()9時(くじ)十字架(じゅうじか)につかれました。

 御子(みこ)は、

  12時(じゅうにじ)になると、(ぜん)()は暗くなり、3時(さんじ)(いた)り、

  「わが(かみ)、わが(かみ)、なぜわたしをお()()てになったのですか」

  と(さけ)ばれました。

 さらに、御子(みこ)

  「(ちち)よ、わたしの(れい)をみ()にゆだねます」

  と(さけ)んで(いき)(ちち)なる(かみ)にゆだねられました。

 御子(みこ)人間(にんげん)として、(かみ)(さば)きの極限(きょくげん)()たされた(もの)姿(すがた)でした。

 そこまで、(わたし)たちの(つみ)(にな)って(くだ)さいました。

 この「(ひと)となたれた(かみ)()」の(くる)しみを、(いま)(おぼ)えます。

  すべてが、この(わたし)のためであったのです

  しかし、(わたし)たちは、しばしば、(しゅ)十字架(じゅうじか)(さけ)びを(わす)れ、

  自分(じぶん)(くる)しみ、自分(じぶん)(なげ)きの(ほう)が、

  (しゅ)(なげ)きよりも(ふか)いかのように(おも)()んでしまいます。

(ゆる)(くだ)さい。

 しかし、自分(じぶん)(くる)しみ、(なげ)きに()らわれている(とき)でさえ、

  (しゅ)十字架(じゅうじか)(めぐ)みの(ひかり)が、

    (わたし)たちの(こころ)(ふか)くに、()()んでいることを、

  ()()くことができますように。

 自分(じぶん)(あわ)れむのではなく、率直(そっちょく)に、(みずか)らの(つみ)をみ(まえ)()じ、

  その(みにく)さを(けん)()することができますように。

 しかし、それにもまさって、(しゅ)十字架(じゅうじか)が、

  (わたし)()らえて(はな)さないでいることに()()くことができますように。

 (ねが)わくば、どうぞ(しゅ)()(あと)(した)い、(しゅ)(つか)える(みち)(あゆ)ませて(くだ)さい。

  (しゅ)イエス・キリストの御名(みな)によって、お(いの)りいたします。アーメン。